「老人と海」は、アメリカの文豪ヘミングウェイによるハードボイルド純文学の一つです。
この作品は、タイトルからもわかるように漁師の村を舞台にした物語です。主人公の老人も漁師なのですが、歳のせいか思うように漁がはかどらず、村の人間からの評判も落ちてきてしまっています。もっとも、ある少年だけはこの老人を慕い、その漁師としての腕を心から尊敬しています。
ある日老人は小舟で沖に漁に出て、巨大なカジキを見事に釣り上げます。そしてそのカジキを小舟にくくり付け、村への帰路につきます…。しかし、そんな巨大かつ新鮮なご馳走をサメが見逃すはずはありません。老人が村へ帰る間にサメがウヨウヨと寄ってきて、カジキを喰らい始めます。老人もそれに対抗し、銛を手にサメと格闘し、何匹ものサメを海に沈めていきます。なんとたくましいのでしょう!しかしサメは次から次へと押し寄せ、老人も次第に力尽きていきます…。
老人とサメとの格闘は数日間も続くのですが、老人はついに村に帰り着きます。ところが、肝心のカジキはすでにサメに食い尽くされ、その巨大な骨だけが小舟に括り付けられているのでした…。老人の、サメへの敗北です。もっともすでに眠りに落ちている老人は「ライオンの夢」を見ており、つまり精神的には決してサメに敗北していないのです。サメと格闘する気力、気概はいくらでも残っているのです。少年は、村の誰よりも先に、帰ってきた老人に気が付き、サメとの格闘によってボロボロになった老人の両手を見て涙を流します。
弁護士の世界でも、刑事裁判における「冤罪事件」の場合などには、この老人のように孤独な戦いを強いられることもあるでしょう。被害者とされる人やその家族からも、検察官からも、そして世間の皆様からも「犯罪者の味方をするけしからん奴」という懐疑の目線を向けられつつ、それでも依頼者のために弁護を行うということも、数は少ないとしても確実に起こり得ることだと思います。
そのような場合であっても「老人と海」における老人のようにしぶとく弁護を行い、ついには無罪判決を勝ち取り被告人の無実の罪を晴らすことに成功する弁護士がいることは、歴史が証明している通りです。
私もこの「老人」のようにたくましく弁護活動を行い、最後には「少年」の涙を得たい!というのは少々格好つけ過ぎであり、我ながら不気味で、自分への失笑の念を禁じ得ませんが、心のどこかにはそういう気持ちを持ち続けていたいな、などと考えている次第であります。
―弁護士の徒然草―
この欄では食べ物の話ばかり書いているような気がしますが、老人と海を読んでいると、やたらに魚が食べたくなります。
今も老人と海を読み返しながら、マグロを喰らっています。これではまるで作品中のサメのようであり、「作品を冒涜している」と言われてしまうかもしれません。しかしながら、たくましくマグロをいただいております。
もちろん、マグロの傍らにはビールもあります。実にけしからんことです!
弁護士 佐山洸二郎
Comments